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zoom RSS 65年目の夏

<<   作成日時 : 2010/08/16 23:04   >>

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たまには珍しく時事関連の記事を書こうと思います。

昨日は終戦記念日でした。

あの戦争が終了してから65年が経ったのですね。

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私も純然たる戦後生まれですが、祖父母父母伯父伯母たちはれっきとした戦中世代です。
幼少時には父母から戦時中の話をよく聞かされました。

父は東海地方の農家の末っ子なので、それほど食糧にも困らず、空襲にも遭わず疎開することも無く、わりとのんびりと過ごしていたらしいのですが、撃墜された米軍機が村内に墜落すると、近所の悪ガキ仲間と一緒に、搭乗員が持参しているおやつ目当てに墜落地点に急行し、米軍将兵のバラバラ死体をかき分けてチョコレートやらビスケットを漁りにいった話をよく聞かされました。
多くいた父の兄達(私の伯父たち)は、そのほとんどが出征し、生きて帰ってきた人は一人だけだったとか。

母方の経験は壮絶なものでした。
母と、母の母(つまり私の祖母)、そして母の姉(私の伯母)は終戦後、朝鮮半島北部(現在では何かと物騒な話題を振りまいている人民共和国があるあたりですね)から命からがら帰国しました。

祖母は7年前に他界したのですが、彼女の生きる強さに今でも尊敬の念を禁じ得ません。

終戦の混乱。ソ連軍の侵攻と一般市民に対する殺傷・暴行・略奪。
共産党政権による資産没収。夫(私の祖父)の病死(戦死?)。
女手ひとつ修羅場をかいくぐり、まだ幼い姉妹を守り通して無事故郷に生還した凄惨極まる体験を、祖母の口から直接聞く事は稀でしたが、かわりに母からはよく聞きました。

そんな家庭環境と、幼少から中学にかけて、割と保守色の強い地方で育った影響もあってか、近現代史には小学校高学年の頃から興味を持ち、社会科地理歴史で苦労した思いはほとんどない、と自分では思っています(しかし他の教科が壊滅状態なので総合成績はいつも下の方だったのですが・・・)。

そんな私ですが、毎年この8月15日前後に繰り返し報道される靖国神社参拝問題であるとか、諸外国の反応であるとか、いわゆる「政治的歴史認識問題」に対する意見は特にありません。
ただ、前述にあるとおり、激動の歴史を実際に生身に刻み込んだ親族がいます。
だから、意見を求められた場合はこのように応答します。

「実際に歴史を経験し、大切な人を、大切な思いを喪った人々の記憶や考えを、後世平和な世にぬくぬくと生きる者が評価などできはしない。まして自分に連なる人々を子や孫の世代が裁けるとは考えられない。過去の栄光を賞賛する考えも、過去の禍を反省する考えも、権利であって義務ではない」

しがないいち市民がなんだえらそうにと思われるかもしれませんが私の考えです。
大上段に構えてはいないし、これからも構えるつもりはありません。
様々な論争に参加するつもりも無いし、だいいち論争する知識も気力もありません。
ただただひたすらに、自分にとって身近な人々が生きてきた軌跡を、そのまま大切に記憶に留めておきたいと思うだけです。



話は変わりますが、以前本で読んだ、ある特攻隊員(学徒出陣兵)が出撃前日に語った思いを綴って終戦記念日の話題を〆ます。

空蝉


「私達はこう見えても帝大学生です。わが国が米国に勝利できるとはとても考えられない。まして航空機で敵艦に体当たりする戦法で戦局を打開できるとはとても考えられない。しかし明日私達は逝きます。上官の命令で飛び立つのではない。自分達の考えがあるのです。私達の特攻攻撃によって、少しでも良好な条件で連合国と講和できる効果を狙っているのです。それで故郷の家族や、多くの愛すべき同胞が少しでも苦しまずに済むのならば、この22歳の命など惜しいものではない。終戦後に、祖国の子や孫達が後世、世界から他国から容易に舐められない為にも私達は明日出撃するのです」







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